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シェフの肖像 (vol.5)

L’Axel(ラクセル)
シェフ 後藤邦之氏

フォンテーヌブローにガストロノミー『L’Axel』をオープンしてからわずか1年で、フランスで最も強い影響力を持つレストランガイド、ゴー・ミヨからGrand de Demain 2013に選出。そして、ミシュランガイドからは一つ星の栄誉を獲得。後藤邦之氏の作り出す料理は、「洗練された」「繊細な」芸術作品と評され続ける。
また、壁一面に絵画が飾られる(さらには定期的に作品が入れ替わる) 店内は、まるでギャラリーのよう。料理だけではなく空間全体で感じる後藤の感性を求めて、地元はもちろんパリからもファンが足を運ぶ。
料理人としての原体験は、間違いなく中学1年の時に作ったティラミスです。テレビで見たレシピとの唯一の違いは、クリームチーズを使ったこと。当時地元では、どうしてもマスカルポーネは手に入らなかったのですが、友人たちは「美味しい!」と目を輝かせて食べてくれました。自分の料理を喜んで食べてくれる人の存在が、30年以上の時を経て、オーナーシェフという立場になっても、変わることなく、いつも自分の胸の中にあります。

小学生の頃からの料理好きが高じて、大分市内で唯一、調理科のある高校に進学した割には、そのまま料理人の道には進みませんでした。高校卒業時に調理師免許がとれるため、同級生40名のほぼ全員がホテルや料亭に就職する中、私だけが大学へと進学。料理から離れて普通の大学生活を送りたかった訳ではなく、熱中していることでトップを獲りたいとのめり込む、自身の性格の表れでした。全国トップクラスになるまで打ち込んでいた、カヌーを続けたかったのです。
上京後の大学生活は、カヌーに明け暮れる毎日。今となればですが、カヌーでハードなトレーニングを重ねたからこそ、料理人を続ける上で必要な、耐久力がつきました。料理人は体力がなければ話になりませんから。
大学卒業後の進路を考えるタイミングではさすがに、仕事としてカヌーを続けていく未来は描けませんでした。そして、自然な選択肢として料理の道がありました。と言うのも、カヌーに打ち込みながら、選んだアルバイトは厨房での調理。小学校の時に包丁を握ってから、料理だけはずっと続けていました。


大学卒業と同時に銀座のフレンチ『カーヴ・エスコフィエ』へ。今はすでに閉店したレストランですが、ワインの品揃えが豊富で、クラシックなフランス料理が楽しめる店でした。振り返れば、ワインの美味しさはこの店で学んだのだと思います。
働き始めて1年を過ぎた頃、ある想いが芽生え始めます。「日本で、日本人の下でつくるフランス料理には、限界がある。フランスへ行きたい」。フランス行きを見据えて、働く以外の時間は全て、フランス語の勉強に注ぎました。そして2001年9月。知人の紹介を頼りに、フランスへ渡ることになりました。

フランスへ渡った後藤は、自身の店を構えるまでの約10年間で、5軒の個性豊かな店で経験を積む。1軒目のジャック・デコレ氏(MOF:国家最優秀職人章)の料理に衝撃を受け、2軒目ではパティシエとして腕を磨き、3軒目のフィリップ・エッチュベスト氏(二つ星オーナーシェフ)の料理に大きな影響を受けたと言う。
ヴィッシーの『MAISON DECORET』が、フランスでの初めての仕事場でしたが、「これがフランス料理なのか」という驚きの連続。ジャック・デコレ氏の飛び抜けた発想を目の当たりにし、「日本のフランス料理は時が止まっている」とさえ感じました。例えば、火の入れ方ひとつも独特で、すでに低温調理にも取り組んでいました。生のようなサーモンの美味しさは、今でも忘れられません。当時先進的だと言われていたスペイン料理の手法を貪欲に取り入れるなど、挑戦し続けている人でした。ただいつしか、デコレ氏のような、素材を変形させて味わいだけ残すようなスタイルではなく、「素材そのものを活かす料理をしたい」という気持ちが高まり、2年の経験の後に次の仕事場を求めたのです。



2軒目のメインキャリアは、実はパティシエです。もともと菓子作りが好きだったこともあり、自分の店を持つのであれば、デザートにも力を入れたいと考えていたからです。『L’Axel』はデザートにもこだわる店ですが、それはここでの経験が活かされています。

パティシエとして1年働いた後、再びシェフとして働くために、サンテミリオンにある、フィリップ・エッチュベスト氏のレストランへ。彼の料理は、デコレ氏と比較すると、エッジの効いた表現は少なく、ベースはクラシック。一方で、素材の味を存分に活かすスタイルだからこそ、素材選びは非常に繊細でした。メニューの提案をはじめ、フィリップ氏とは本当によく料理の話をしました。ストーブ部門のシェフとして入った後にセカンドとなり、自信をつけていった特別な思いがある店です。ですが、3年勤めた後に、「セカンドとしてもっと経験を積みたい」という気持ちが高まり、次のステップに進むことを決めたのです。

2012年1月にいよいよ自身の店、『L’Axel』をオープン。
自分が住んだことがあった上、妻が隣町出身ということもあり、縁を感じていたフォンテーヌブロー。ここは、城と広大な森に守られ、土地に根付いて裕福に暮らしている人が多い、美しい街です。加えて、パリからの観光客で常に賑わっている。にもかかわらず、ガストロノミーがありませんでした。「地元の食材を使って、地元の人たちに愛される店を、いつかここで開くことができたら」という思いは強くなっていきました。仕事をしながら物件を探す日々の中で、今の店舗が売りに出るという話を聞き、ほぼ居抜き状態で使える店舗だったことから、即決しました。
オープンして1年でレストランガイドから評価を受けたことは嬉しい一方で、そこには特別な気持ちはありません。料理を始めた理由は、名声欲しさではないからです。中学時代、友人たちがティラミスを喜んで食べてくれたように、自分の料理を楽しみに訪ねて来てくれる人のため。それはずっと変わらないですね。
「人生を進んでいく上で大切にしていること」。そして、「これからの夢」。
人生を進んで行く上で大切にしていること。それは、「人生はタイミングだ」ということです。どんなに努力をしても、タイミングをつかめなければ前へ進めません。「渡仏する」「有名店に移る」「空き物件が出る」。そのタイミングが訪れた時に、つかんで諦めないことです。ただ、何かをつかみたければ同時に、何かを手放すこと。私自身、日本を手放したから、手に入れられた経験や場所があると確信しています。そして、妻のヴァネッサも同様です。2人で店を作るにあたり、彼女は料理人だったにもかかわらず、その立場を手放して、表に立つことを選んでくれました。『L’Axel』は2人でつかんだ場所です。



それから、夢というほどではないのですが・・・ここ、フォンテーヌブローで、店を大きくしたいと思っています。ただし、客席数は変えません。調理場と客席にゆとりを持たせて、より心地いい空間を作っていきたい。そして、『L’Axel』の2軒隣に鉄板焼きの店『風味』をオープンしたばかりなので、『L’Axel』同様に『風味』もたくさんの人に愛してもらえる店にしたいですね。実は、フランスにおける日本料理店の多くは中国人が経営しており、寿司や刺身がメインなんです。日本人である自分が素直に美味しいと思える日本の家庭の味を、この場所で伝えていきたいと思っています。


シェフの肖像 (vol.5)

L’Axel(ラクセル)
シェフ 後藤邦之氏

フォンテーヌブローにガストロノミー『L’Axel』をオープンしてからわずか1年で、フランスで最も強い影響力を持つレストランガイド、ゴー・ミヨからGrand de Demain 2013に選出。そして、ミシュランガイドからは一つ星の栄誉を獲得。後藤邦之氏の作り出す料理は、「洗練された」「繊細な」芸術作品と評され続ける。
また、壁一面に絵画が飾られる(さらには定期的に作品が入れ替わる) 店内は、まるでギャラリーのよう。料理だけではなく空間全体で感じる後藤の感性を求めて、地元はもちろんパリからもファンが足を運ぶ。
料理人としての原体験は、間違いなく中学1年の時に作ったティラミスです。テレビで見たレシピとの唯一の違いは、クリームチーズを使ったこと。当時地元では、どうしてもマスカルポーネは手に入らなかったのですが、友人たちは「美味しい!」と目を輝かせて食べてくれました。自分の料理を喜んで食べてくれる人の存在が、30年以上の時を経て、オーナーシェフという立場になっても、変わることなく、いつも自分の胸の中にあります。

小学生の頃からの料理好きが高じて、大分市内で唯一、調理科のある高校に進学した割には、そのまま料理人の道には進みませんでした。高校卒業時に調理師免許がとれるため、同級生40名のほぼ全員がホテルや料亭に就職する中、私だけが大学へと進学。料理から離れて普通の大学生活を送りたかった訳ではなく、熱中していることでトップを獲りたいとのめり込む、自身の性格の表れでした。全国トップクラスになるまで打ち込んでいた、カヌーを続けたかったのです。
上京後の大学生活は、カヌーに明け暮れる毎日。今となればですが、カヌーでハードなトレーニングを重ねたからこそ、料理人を続ける上で必要な、耐久力がつきました。料理人は体力がなければ話になりませんから。
大学卒業後の進路を考えるタイミングではさすがに、仕事としてカヌーを続けていく未来は描けませんでした。そして、自然な選択肢として料理の道がありました。と言うのも、カヌーに打ち込みながら、選んだアルバイトは厨房での調理。小学校の時に包丁を握ってから、料理だけはずっと続けていました。


大学卒業と同時に銀座のフレンチ『カーヴ・エスコフィエ』へ。今はすでに閉店したレストランですが、ワインの品揃えが豊富で、クラシックなフランス料理が楽しめる店でした。振り返れば、ワインの美味しさはこの店で学んだのだと思います。
働き始めて1年を過ぎた頃、ある想いが芽生え始めます。「日本で、日本人の下でつくるフランス料理には、限界がある。フランスへ行きたい」。フランス行きを見据えて、働く以外の時間は全て、フランス語の勉強に注ぎました。そして2001年9月。知人の紹介を頼りに、フランスへ渡ることになりました。

フランスへ渡った後藤は、自身の店を構えるまでの約10年間で、5軒の個性豊かな店で経験を積む。1軒目のジャック・デコレ氏(MOF:国家最優秀職人章)の料理に衝撃を受け、2軒目ではパティシエとして腕を磨き、3軒目のフィリップ・エッチュベスト氏(二つ星オーナーシェフ)の料理に大きな影響を受けたと言う。
ヴィッシーの『MAISON DECORET』が、フランスでの初めての仕事場でしたが、「これがフランス料理なのか」という驚きの連続。ジャック・デコレ氏の飛び抜けた発想を目の当たりにし、「日本のフランス料理は時が止まっている」とさえ感じました。例えば、火の入れ方ひとつも独特で、すでに低温調理にも取り組んでいました。生のようなサーモンの美味しさは、今でも忘れられません。当時先進的だと言われていたスペイン料理の手法を貪欲に取り入れるなど、挑戦し続けている人でした。ただいつしか、デコレ氏のような、素材を変形させて味わいだけ残すようなスタイルではなく、「素材そのものを活かす料理をしたい」という気持ちが高まり、2年の経験の後に次の仕事場を求めたのです。



2軒目のメインキャリアは、実はパティシエです。もともと菓子作りが好きだったこともあり、自分の店を持つのであれば、デザートにも力を入れたいと考えていたからです。『L’Axel』はデザートにもこだわる店ですが、それはここでの経験が活かされています。

パティシエとして1年働いた後、再びシェフとして働くために、サンテミリオンにある、フィリップ・エッチュベスト氏のレストランへ。彼の料理は、デコレ氏と比較すると、エッジの効いた表現は少なく、ベースはクラシック。一方で、素材の味を存分に活かすスタイルだからこそ、素材選びは非常に繊細でした。メニューの提案をはじめ、フィリップ氏とは本当によく料理の話をしました。ストーブ部門のシェフとして入った後にセカンドとなり、自信をつけていった特別な思いがある店です。ですが、3年勤めた後に、「セカンドとしてもっと経験を積みたい」という気持ちが高まり、次のステップに進むことを決めたのです。

2012年1月にいよいよ自身の店、『L’Axel』をオープン。
自分が住んだことがあった上、妻が隣町出身ということもあり、縁を感じていたフォンテーヌブロー。ここは、城と広大な森に守られ、土地に根付いて裕福に暮らしている人が多い、美しい街です。加えて、パリからの観光客で常に賑わっている。にもかかわらず、ガストロノミーがありませんでした。「地元の食材を使って、地元の人たちに愛される店を、いつかここで開くことができたら」という思いは強くなっていきました。仕事をしながら物件を探す日々の中で、今の店舗が売りに出るという話を聞き、ほぼ居抜き状態で使える店舗だったことから、即決しました。
オープンして1年でレストランガイドから評価を受けたことは嬉しい一方で、そこには特別な気持ちはありません。料理を始めた理由は、名声欲しさではないからです。中学時代、友人たちがティラミスを喜んで食べてくれたように、自分の料理を楽しみに訪ねて来てくれる人のため。それはずっと変わらないですね。
「人生を進んでいく上で大切にしていること」。そして、「これからの夢」。
人生を進んで行く上で大切にしていること。それは、「人生はタイミングだ」ということです。どんなに努力をしても、タイミングをつかめなければ前へ進めません。「渡仏する」「有名店に移る」「空き物件が出る」。そのタイミングが訪れた時に、つかんで諦めないことです。ただ、何かをつかみたければ同時に、何かを手放すこと。私自身、日本を手放したから、手に入れられた経験や場所があると確信しています。そして、妻のヴァネッサも同様です。2人で店を作るにあたり、彼女は料理人だったにもかかわらず、その立場を手放して、表に立つことを選んでくれました。『L’Axel』は2人でつかんだ場所です。



それから、夢というほどではないのですが・・・ここ、フォンテーヌブローで、店を大きくしたいと思っています。ただし、客席数は変えません。調理場と客席にゆとりを持たせて、より心地いい空間を作っていきたい。そして、『L’Axel』の2軒隣に鉄板焼きの店『風味』をオープンしたばかりなので、『L’Axel』同様に『風味』もたくさんの人に愛してもらえる店にしたいですね。実は、フランスにおける日本料理店の多くは中国人が経営しており、寿司や刺身がメインなんです。日本人である自分が素直に美味しいと思える日本の家庭の味を、この場所で伝えていきたいと思っています。