Magazine

シェフの肖像 (vol.1)

Passage 53 (パッサージュ・サンカントトロワ)
オーナーシェフ 佐藤伸一氏

料理界で、今や佐藤伸一の名を知らない者はいないのではないか。「アストランス」「ムガリツ」などの一流店でキャリアを積んだのち、2009年4月オープンと同時に「Passage 53」のシェフに就任。 半年で1つ星、一年半後には2つ星を獲得という快進撃を遂げた。2016年現在、日本人で唯一の2つ星シェフである。
F1レーサー、建築家、料理人という夢の中から、僕が最終的に選んだのは料理人。地元北海道の調理専門学校に進学し、その後はレストランやビアホールで4年弱働きました。
知人からパリ郊外のレストランの話をもらい、フランスに渡ったのが2000年のことです。でも思い描いていたようにスムーズにはいかなくて。言葉の壁や仕事上のストレスから体調を崩し、数ヶ月で辞めました。

それからしばらく、僕はレストランの食べ歩きやワイン産地の訪問を続けました。その中で当時一つ星だった「アストランス」での食事に衝撃を受け、研修生として受けれてもらえるように交渉したのが2001年です。シェフのパスカル・バルボ氏から学ぶことは多かったし、ここでの仕事は本当に楽しかったですね。2年が過ぎたころバルボ氏から労働許可証取得の提案をいただいたのですが、「まだ今は他も見てみたい」と断り、ワーキングホリデービザを取得しました。

星付きレストラン、ムルソーのワイナリー、出張料理人・・・そうこうしているうちに知人から一緒に出店しようと誘われてそのつもりで話を進めていたんですが、結局ダメになちゃって(苦笑)。ちょくちょく話はいただくんだけれどもそのたびにボツになることが続き、親しい料理人たちがどんどん活躍していく姿を横目に、さすがに僕も焦りました。

このころの僕は出張料理人をしてなんとか生活を繋いでいる状況で、日々、もうどこのシェフでもいいやという気持ちと、妥協はしたくないという気持ちの葛藤です。 でもそんな僕にチャンスがやってきたんです。親しくしていた精肉店「デノワイエ」の息子さんから、新規オープンのビストロのシェフをやらないか、って(現在は共同オーナー)。

僕のやりたいスタイルとは違ったけれど、話し合っていくうちに数年後にはガストロノミー路線に転換できるかもしれない、と可能性を感じて引き受けて。結局、僕の昔からの顧客や知人の押しもあってオープンして3ヶ月も経たないうちにガストロノミーレストランに転向でき、ありがたいことにオープン半年で1つ星、1年半後の2011年には2つ星を獲ることができました。
食材レベル、技術含め、星を獲得するための努力はしていたとはいえ、意外に早く星を獲れたことを喜ぶと同時に、「本当にその価値はあるのか」と自分に問いかけたという。その後も日々レベルアップを目指し、やっと今、当時より価値のあるものになってきたと感じているそうだ。日本人としてフランスで初めての2つ星獲得。そして、今もその状態をキープしていることに、佐藤シェフはプレッシャーを感じないのか。
プレッシャーは感じています。世界の名だたるレストラン、シェフが集まるパリで、2つ星の重み、責任感を感じながらの毎日ですよ。いまだにクリアしなければならない課題も多いのですが、やるからには僕はさらに上に行くことを目標としています。でも、3つ星を獲ったからといってそこが頂点ではないので、その点は間違わずにいたいですね。

ここ一年半くらいで、僕の料理は変わってきました。以前は常に斬新さを求められている気がしたし、実際にそれがブームだった。でも今は「おいしいもの」に尽きますね。斬新さじゃなく、精度を高めることが必要だと思っています。

たとえば、いいお肉を仕入れるのはもちろんですが、そのうえで焼き加減、塩加減をどれだけ突き詰められるかが、他との差別化を図る重要なポイントであると考えています。味のベクトルは今、そちらへ向かっています。 お世話になったバルボ氏の教えはベースにありますが、僕は僕。素材の可能性を最大限に引き出し、自分のフィルターで、どんなときも「佐藤伸一の料理」を作り続けていきたいと思っています。

ルレ・エ・シャトーにも加盟しましたし、JALの機内食(ファーストクラス、ビジネスクラス)も担当・監修するようになり、ますます自分らしさを大切にしていきたいな、と。機内食というとおいしくないイメージが強いですが、どれだけおいしくなるか、できるか、楽しい挑戦ですね。
「自分がおいしいと思わないものは出したくない」という佐藤シェフ。有名シェフがセカンド店を出すパターンが増えているが、「自分がそこにいないと自分の料理ができない」という理由でセカンド店のオープンは考えていない。でも自分がいなくてもできる範囲で、皆においしいものを気軽に味わってもらいたい、と3年半前には佐藤シェフがレシピを監修して餃子専門店「GYOZA BAR」をオープン。さらに2015年秋には、同じく佐藤シェフがレシピを監修した牛丼屋「Oishinoya」をオープンさせた。
ガストロノミーとなると気軽に足を運んでもらうことは難しくても、これなら幅広い客層に味わってもらえるかな、と思ったんです。こだわりの食材とレシピを多くの人に楽しんでもらえたらうれしいです。僕、かなりの負けず嫌いなんですよ。僕の原動力はそれかな。つらくても料理人をやめようと思ったことはない。あきらめた時点ですべて終わってしまう、それなら自分を信じて進んでいくしかないですよね。

ここには僕の大好きなフランスの食材があるから、今後もここで本当においしいものを追求していきます。そして、自分の可能性を料理だけには終わらせたくないので、新しい挑戦もしていくつもりです。これからも、何ごとにも妥協しない精神で生きたいですね。
取材: 内田ちはる

シェフの肖像 (vol.1)

Passage 53 (パッサージュ・サンカントトロワ)
オーナーシェフ 佐藤伸一氏

料理界で、今や佐藤伸一の名を知らない者はいないのではないか。「アストランス」「ムガリツ」などの一流店でキャリアを積んだのち、2009年4月オープンと同時に「Passage 53」のシェフに就任。 半年で1つ星、一年半後には2つ星を獲得という快進撃を遂げた。2016年現在、日本人で唯一の2つ星シェフである。
F1レーサー、建築家、料理人という夢の中から、僕が最終的に選んだのは料理人。地元北海道の調理専門学校に進学し、その後はレストランやビアホールで4年弱働きました。
知人からパリ郊外のレストランの話をもらい、フランスに渡ったのが2000年のことです。でも思い描いていたようにスムーズにはいかなくて。言葉の壁や仕事上のストレスから体調を崩し、数ヶ月で辞めました。

それからしばらく、僕はレストランの食べ歩きやワイン産地の訪問を続けました。その中で当時一つ星だった「アストランス」での食事に衝撃を受け、研修生として受けれてもらえるように交渉したのが2001年です。シェフのパスカル・バルボ氏から学ぶことは多かったし、ここでの仕事は本当に楽しかったですね。2年が過ぎたころバルボ氏から労働許可証取得の提案をいただいたのですが、「まだ今は他も見てみたい」と断り、ワーキングホリデービザを取得しました。

星付きレストラン、ムルソーのワイナリー、出張料理人・・・そうこうしているうちに知人から一緒に出店しようと誘われてそのつもりで話を進めていたんですが、結局ダメになちゃって(苦笑)。ちょくちょく話はいただくんだけれどもそのたびにボツになることが続き、親しい料理人たちがどんどん活躍していく姿を横目に、さすがに僕も焦りました。

このころの僕は出張料理人をしてなんとか生活を繋いでいる状況で、日々、もうどこのシェフでもいいやという気持ちと、妥協はしたくないという気持ちの葛藤です。 でもそんな僕にチャンスがやってきたんです。親しくしていた精肉店「デノワイエ」の息子さんから、新規オープンのビストロのシェフをやらないか、って(現在は共同オーナー)。

僕のやりたいスタイルとは違ったけれど、話し合っていくうちに数年後にはガストロノミー路線に転換できるかもしれない、と可能性を感じて引き受けて。結局、僕の昔からの顧客や知人の押しもあってオープンして3ヶ月も経たないうちにガストロノミーレストランに転向でき、ありがたいことにオープン半年で1つ星、1年半後の2011年には2つ星を獲ることができました。
食材レベル、技術含め、星を獲得するための努力はしていたとはいえ、意外に早く星を獲れたことを喜ぶと同時に、「本当にその価値はあるのか」と自分に問いかけたという。その後も日々レベルアップを目指し、やっと今、当時より価値のあるものになってきたと感じているそうだ。日本人としてフランスで初めての2つ星獲得。そして、今もその状態をキープしていることに、佐藤シェフはプレッシャーを感じないのか。
プレッシャーは感じています。世界の名だたるレストラン、シェフが集まるパリで、2つ星の重み、責任感を感じながらの毎日ですよ。いまだにクリアしなければならない課題も多いのですが、やるからには僕はさらに上に行くことを目標としています。でも、3つ星を獲ったからといってそこが頂点ではないので、その点は間違わずにいたいですね。

ここ一年半くらいで、僕の料理は変わってきました。以前は常に斬新さを求められている気がしたし、実際にそれがブームだった。でも今は「おいしいもの」に尽きますね。斬新さじゃなく、精度を高めることが必要だと思っています。

たとえば、いいお肉を仕入れるのはもちろんですが、そのうえで焼き加減、塩加減をどれだけ突き詰められるかが、他との差別化を図る重要なポイントであると考えています。味のベクトルは今、そちらへ向かっています。 お世話になったバルボ氏の教えはベースにありますが、僕は僕。素材の可能性を最大限に引き出し、自分のフィルターで、どんなときも「佐藤伸一の料理」を作り続けていきたいと思っています。

ルレ・エ・シャトーにも加盟しましたし、JALの機内食(ファーストクラス、ビジネスクラス)も担当・監修するようになり、ますます自分らしさを大切にしていきたいな、と。機内食というとおいしくないイメージが強いですが、どれだけおいしくなるか、できるか、楽しい挑戦ですね。
「自分がおいしいと思わないものは出したくない」という佐藤シェフ。有名シェフがセカンド店を出すパターンが増えているが、「自分がそこにいないと自分の料理ができない」という理由でセカンド店のオープンは考えていない。でも自分がいなくてもできる範囲で、皆においしいものを気軽に味わってもらいたい、と3年半前には佐藤シェフがレシピを監修して餃子専門店「GYOZA BAR」をオープン。さらに2015年秋には、同じく佐藤シェフがレシピを監修した牛丼屋「Oishinoya」をオープンさせた。
ガストロノミーとなると気軽に足を運んでもらうことは難しくても、これなら幅広い客層に味わってもらえるかな、と思ったんです。こだわりの食材とレシピを多くの人に楽しんでもらえたらうれしいです。僕、かなりの負けず嫌いなんですよ。僕の原動力はそれかな。つらくても料理人をやめようと思ったことはない。あきらめた時点ですべて終わってしまう、それなら自分を信じて進んでいくしかないですよね。

ここには僕の大好きなフランスの食材があるから、今後もここで本当においしいものを追求していきます。そして、自分の可能性を料理だけには終わらせたくないので、新しい挑戦もしていくつもりです。これからも、何ごとにも妥協しない精神で生きたいですね。
取材: 内田ちはる