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シェフの肖像 (vol.2)

SOLA(ソラ)
オーナーシェフ 吉武広樹氏

いまや、食の都・パリを牽引する一人となったシェフ、吉武広樹。福岡の中村調理師専門学校卒業後、坂井宏行氏に師事。6年の修行ののち、バックパッカーとして世界を放浪。2008年に渡仏、「フォゴン」「キッチンギャラリー」「レ・マニョリア」「アストランス」でキャリアを積む。

その後、2009年秋にシンガポールでレストランをオープンするも、2010年夏にはフランスの知人から声がかかり、パリで勝負する決心を固める。2010年秋「SOLA」をオープン、わずか一年ちょっとで一つ星を獲得。旅で研ぎ澄まされた五感から創り出される、枠にとらわれない料理の数々は多くの人々を魅了する。
僕が料理の世界を志したのは、小学生のころに見ていたテレビ番組「料理の鉄人」で坂井宏行氏の作るフランス料理に衝撃を受けたのがきっかけです。調理師専門学校へ進学し、在学中にアプローチして面接を受け、卒業後には坂井シェフの「ラ・ロシェル」で働かせてもらえることになりました。

一年目はフロア担当で包丁を全くさわらせてもらえず、二年目からようやく厨房に。でも、それでもまかない作りで少し触らせてもらえる程度で、初めは雑用ばかり。想像以上にハードで辞めようと思ったこともありますが、負けず嫌いな性格と周りのアドバイスでなんとか頑張れました。

坂井シェフの人間性、テクニックなど学ぶものは多く、辞めずに残った意味は大いにありました。3年経ってから坂井シェフの紹介で別の店へ移り、そこでも3年。合計6年間の経験を積み、今度は日本の外を見てみよう、と。すぐにフランスへ行こうかとも思ったけれど、みんなと同じだとつまらない。それなら、いろんな国を周りながらフランスへ行こう、って。

バックパックに包丁、まな板、塩、胡椒などを詰めこんで、アジア諸国、インド、ネパール、エジプト、ヨーロッパ、アメリカなど、一年かけて40ヶ国ほど周遊しました。ゲストハウスを泊まり歩き、現地のレストランを手伝ったり、知り合った人の結婚式の料理を作ったり、珍しい体験をさせてもらいましたよ。
世界周遊中にも立ち寄ったフランスに再び足を踏み入れたのは2008年。旅の中で「自分は本当に料理が好きなのだ。」と確信を得ての新たなスタートだった。日中は語学学校へ通い、夜にはレストランで働く生活をしていたという。店は約3ヶ月ごとに移り、料理だけにとどまらないトータルなオーガナイズ、最先端の調理技法、素材そのものを生かした究極にシンプルな料理から学ぶ料理の真髄など、習得することはさまざまだった。

その後、シンガポールで開催された料理人コンテストで投資家の目に留まり、シンガポールでレストランをオープンするに至る。だが、その一年後にはパリに戻ることに。吉武シェフの中で、どのような気持ちの変化があったのか。
待遇も良かったし、店もとても順調でした。でも、次第にシンガポールとの食文化の違いに違和感を感じ、物足りなくなってきたんです。僕の中で、やるならフランス、ニューヨーク、日本などのほうがおもしろいんじゃないか、という気持ちが出てきて。

ちょうどそのとき、現在の共同経営者であるフランス人からパリでのレストランオープンの誘いがきたんです。決心してからは早かったですね。どうせやるなら星を獲ろうと、いい人材・・・、かつて一緒に働いたことのあるスーシェフ、パティシエ、ソムリエを日本から連れていきました。
そして、彼らと力を合わせ、目標だった星を一年ちょっとで獲得という快挙を遂げる。吉武シェフの活躍はそれだけではとどまらない。2013年からはJALのファーストクラス、ビジネスクラスの機内食の監修を行い、2014年には日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」でグランプリ受賞、さらには、ニューヨーク「MIFUNE」(2017年1月オープン予定)のスターティングメンバ―に起用され、メニュー監修を行った。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
去年くらいから自分の中での方向性が変わり、「ミシュラン」やかつては目指していたサンペレグリノの「世界ベストレストラン50」などを意識した料理をすることはなくなりました。もちろん評価いただけるとうれしいことは変わりはありません。

ただ、それを目指すために流行を追うことや、いろんなものをお皿にのせたりすることがなくなったんです。今は削ぎ落とせるところは落としてシンプルに、とことん「おいしい」を追求しています。また、目指す店づくりにも力を入れています。たとえば今年から、ランチ営業を金土のみに変更しました。

あるとき、日本で約100店舗を構えて大成功を収めている花関係の知り合いから、「スタッフのことを考えた経営をしてみたらどうか。」というアドバイスをもらい、はっとしたんです。それでいろいろ考え、ランチ営業日を減らしてみよう、と。結果、いい方向に向かっています。今ではスタッフも眠い目をこすらずに出勤でき、以前よりも仕事に丁寧に向き合えるようになっていますし、僕も家族との時間が増えてますます充実した毎日です。

さまざまな経験をした今、「当たり前のようになっていることを、いま一度考え直してみること、ひとつひとつに疑問を持つこと」の必要性を感じています。それから、僕の店ではコックコートや帽子の着用も求めていません。音楽を聴きながら仕込みもします。でも「自由」や「楽しみかた」をはき違えてはいけないし、間違ったことはしっかり話し合う。何かにとらわれることなく、自分の考えをもって表現、実践することが僕の考える「自由」なんです。
吉武シェフの驚くべき進化の秘訣は、「聞く」ことにあると感じる。異なる分野の人からの意見アドバイスにも素直に耳を傾ける。誰にも分け隔てなく接し、誰にも物怖じしない。その自然体がチャンスを呼びこみ、またそのチャンスを逃さない。

「まずは行動してみること。うまくいかなかったら、うまくいくように解決策を見つければいい。」という彼の、今後の目標や夢とは何なのか、そして若い料理人たちに伝えたいこととは?
料理界や日本に、新しい風を吹きこむようなおもしろい提案をしていきたいですね。ここ数年、パリから日本へさまざまな提案をしてきましたが、やっぱり距離がある。遠い。心をニュートラルにし、先入観なく見つめ、何かできることがないかを考えているところです。また、ニューヨーク「MIFUNE」でのメニュー監修のように、メニューデザイナーとして世界に表現できる場を広げていけたら、と思っています。

僕は、こうやって日本を出てみて初めて、日本や自分のことがより明確に見えるようになりました。だから皆さんにも、どんどん外に出てみて欲しい。どこにでも通用する技術をしっかり磨いてから外へ飛び出して下さい。人とのつながりも視野も驚くほど広がります。

また、若い人はコンクールへの参加も積極的にしてみて欲しいですね。誰かの下で働いているときはシェフと自分の世界観しかないし、シェフの下なので自分らしい料理を作ることもままならない。だからこそ、コンクールで自分を表現してみるんです。より広い世界で他人を意識するいいきっかけになるし、よりはっきりと自分の強みが見えてきますよ。
グローバルなフィールドを相手に突き進む吉武シェフ。
今後の動きからもますます目が離せなさそうだ。
取材: 内田ちはる

シェフの肖像 (vol.2)

SOLA(ソラ)
オーナーシェフ 吉武広樹氏

いまや、食の都・パリを牽引する一人となったシェフ、吉武広樹。福岡の中村調理師専門学校卒業後、坂井宏行氏に師事。6年の修行ののち、バックパッカーとして世界を放浪。2008年に渡仏、「フォゴン」「キッチンギャラリー」「レ・マニョリア」「アストランス」でキャリアを積む。

その後、2009年秋にシンガポールでレストランをオープンするも、2010年夏にはフランスの知人から声がかかり、パリで勝負する決心を固める。2010年秋「SOLA」をオープン、わずか一年ちょっとで一つ星を獲得。旅で研ぎ澄まされた五感から創り出される、枠にとらわれない料理の数々は多くの人々を魅了する。
僕が料理の世界を志したのは、小学生のころに見ていたテレビ番組「料理の鉄人」で坂井宏行氏の作るフランス料理に衝撃を受けたのがきっかけです。調理師専門学校へ進学し、在学中にアプローチして面接を受け、卒業後には坂井シェフの「ラ・ロシェル」で働かせてもらえることになりました。

一年目はフロア担当で包丁を全くさわらせてもらえず、二年目からようやく厨房に。でも、それでもまかない作りで少し触らせてもらえる程度で、初めは雑用ばかり。想像以上にハードで辞めようと思ったこともありますが、負けず嫌いな性格と周りのアドバイスでなんとか頑張れました。

坂井シェフの人間性、テクニックなど学ぶものは多く、辞めずに残った意味は大いにありました。3年経ってから坂井シェフの紹介で別の店へ移り、そこでも3年。合計6年間の経験を積み、今度は日本の外を見てみよう、と。すぐにフランスへ行こうかとも思ったけれど、みんなと同じだとつまらない。それなら、いろんな国を周りながらフランスへ行こう、って。

バックパックに包丁、まな板、塩、胡椒などを詰めこんで、アジア諸国、インド、ネパール、エジプト、ヨーロッパ、アメリカなど、一年かけて40ヶ国ほど周遊しました。ゲストハウスを泊まり歩き、現地のレストランを手伝ったり、知り合った人の結婚式の料理を作ったり、珍しい体験をさせてもらいましたよ。
世界周遊中にも立ち寄ったフランスに再び足を踏み入れたのは2008年。旅の中で「自分は本当に料理が好きなのだ。」と確信を得ての新たなスタートだった。日中は語学学校へ通い、夜にはレストランで働く生活をしていたという。店は約3ヶ月ごとに移り、料理だけにとどまらないトータルなオーガナイズ、最先端の調理技法、素材そのものを生かした究極にシンプルな料理から学ぶ料理の真髄など、習得することはさまざまだった。

その後、シンガポールで開催された料理人コンテストで投資家の目に留まり、シンガポールでレストランをオープンするに至る。だが、その一年後にはパリに戻ることに。吉武シェフの中で、どのような気持ちの変化があったのか。
待遇も良かったし、店もとても順調でした。でも、次第にシンガポールとの食文化の違いに違和感を感じ、物足りなくなってきたんです。僕の中で、やるならフランス、ニューヨーク、日本などのほうがおもしろいんじゃないか、という気持ちが出てきて。

ちょうどそのとき、現在の共同経営者であるフランス人からパリでのレストランオープンの誘いがきたんです。決心してからは早かったですね。どうせやるなら星を獲ろうと、いい人材・・・、かつて一緒に働いたことのあるスーシェフ、パティシエ、ソムリエを日本から連れていきました。
そして、彼らと力を合わせ、目標だった星を一年ちょっとで獲得という快挙を遂げる。吉武シェフの活躍はそれだけではとどまらない。2013年からはJALのファーストクラス、ビジネスクラスの機内食の監修を行い、2014年には日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」でグランプリ受賞、さらには、ニューヨーク「MIFUNE」(2017年1月オープン予定)のスターティングメンバ―に起用され、メニュー監修を行った。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
去年くらいから自分の中での方向性が変わり、「ミシュラン」やかつては目指していたサンペレグリノの「世界ベストレストラン50」などを意識した料理をすることはなくなりました。もちろん評価いただけるとうれしいことは変わりはありません。

ただ、それを目指すために流行を追うことや、いろんなものをお皿にのせたりすることがなくなったんです。今は削ぎ落とせるところは落としてシンプルに、とことん「おいしい」を追求しています。また、目指す店づくりにも力を入れています。たとえば今年から、ランチ営業を金土のみに変更しました。

あるとき、日本で約100店舗を構えて大成功を収めている花関係の知り合いから、「スタッフのことを考えた経営をしてみたらどうか。」というアドバイスをもらい、はっとしたんです。それでいろいろ考え、ランチ営業日を減らしてみよう、と。結果、いい方向に向かっています。今ではスタッフも眠い目をこすらずに出勤でき、以前よりも仕事に丁寧に向き合えるようになっていますし、僕も家族との時間が増えてますます充実した毎日です。

さまざまな経験をした今、「当たり前のようになっていることを、いま一度考え直してみること、ひとつひとつに疑問を持つこと」の必要性を感じています。それから、僕の店ではコックコートや帽子の着用も求めていません。音楽を聴きながら仕込みもします。でも「自由」や「楽しみかた」をはき違えてはいけないし、間違ったことはしっかり話し合う。何かにとらわれることなく、自分の考えをもって表現、実践することが僕の考える「自由」なんです。
吉武シェフの驚くべき進化の秘訣は、「聞く」ことにあると感じる。異なる分野の人からの意見アドバイスにも素直に耳を傾ける。誰にも分け隔てなく接し、誰にも物怖じしない。その自然体がチャンスを呼びこみ、またそのチャンスを逃さない。

「まずは行動してみること。うまくいかなかったら、うまくいくように解決策を見つければいい。」という彼の、今後の目標や夢とは何なのか、そして若い料理人たちに伝えたいこととは?
料理界や日本に、新しい風を吹きこむようなおもしろい提案をしていきたいですね。ここ数年、パリから日本へさまざまな提案をしてきましたが、やっぱり距離がある。遠い。心をニュートラルにし、先入観なく見つめ、何かできることがないかを考えているところです。また、ニューヨーク「MIFUNE」でのメニュー監修のように、メニューデザイナーとして世界に表現できる場を広げていけたら、と思っています。

僕は、こうやって日本を出てみて初めて、日本や自分のことがより明確に見えるようになりました。だから皆さんにも、どんどん外に出てみて欲しい。どこにでも通用する技術をしっかり磨いてから外へ飛び出して下さい。人とのつながりも視野も驚くほど広がります。

また、若い人はコンクールへの参加も積極的にしてみて欲しいですね。誰かの下で働いているときはシェフと自分の世界観しかないし、シェフの下なので自分らしい料理を作ることもままならない。だからこそ、コンクールで自分を表現してみるんです。より広い世界で他人を意識するいいきっかけになるし、よりはっきりと自分の強みが見えてきますよ。
グローバルなフィールドを相手に突き進む吉武シェフ。
今後の動きからもますます目が離せなさそうだ。
取材: 内田ちはる