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海外で料理人として活躍する方の素顔を
皆様にお届けします

シェフの肖像 (vol.10)

MONTÉE(モンテ)
オーナーシェフ 滑浦高行 氏

「おもしろいことをする人がいるもんだな。」と興味を持ち、会ってみたくなった。日本で人気だった店を閉め、パリに移転オープンするというチャレンジをやってのけた滑浦高行氏(45歳)である。調理師学校を卒業後、日本でのホテルレストラン勤務、南仏ニームでのレストラン研修などを経て、2006年、34歳のときに地元の神戸にて自身の店をオープン。新たなスタートのために店を閉めたのが2014年の終わり、そして2ヶ月も経たないうちに移転先のパリへと飛び立った。準備期間を経て、2016年9月に神戸の店と同名の「MONTÉE」をオープン。2018年2月にはミシュラン一つ星を獲得という快挙を遂げた。
母が忙しい人だったので、小学校低学年のときから自分で料理を作って食べることがありました。と言っても、オムライス、オムレツ、パスタなどシンプルなものです。2つ上の兄が料理上手でね・・・、真似てみるんだけれども、どうも僕はうまくできない。スクランブルエッグひとつをとっても、全然違うんです。どうすれば兄みたいに作れるんだろう、といつも考えていました。「どうしたらおいしくなるか。」と探求する気持ちはあのころも今も変わっていないですね。僕の料理に対する原点はここにあるのかもしれません。
小中高と「ごくふつうの学生だった。」という滑浦シェフ。高校時代は、当時流行っていたデザイナーズブランドを買うために、(本当は高校では禁止されていたが)アルバイトに精を出した。小さな喫茶店で、もともとはウエイターとして入ったが、途中から調理も教えてもらえたという。
素直に言われたこと、決められたことを真面目にしていました。時給は安かったのですが、お金をもらって仕事をしているんだから、純粋に奉仕したいと思って。もちろん掃除も欠かさず、時間がある限りは全てきちんとやりたいとがんばりました。ある日、もともと料理人だった人がいなくなり、同時にウエイターとして入った友人が厨房に入ることになりました。そのとき、オーナーに「僕も(料理を)やりたいです!」と自ら志願したんです。自発的に自分の意思を他人に伝えたのは初めてだったんじゃないでしょうか。新鮮でしたね。心から出た言葉でした。それで、オムライス、たらこスパゲティ、ハンバーグなど、いわゆる喫茶店メニューの調理を教えてもらうことができて・・・とてもうれしかったし楽しかったです。そして卒業後の進路の話し合いが学校で行われたとき、親と先生の前で「料理学校に行きたい。」と言ったんです。親に自分のやりたいことをはっきりと伝えたのも、このときが生まれて初めてだったかな。ああ、僕は本当に料理がやりたいんだなぁ、と実感しましたね。

それで、大阪の辻調理師専門学校へ入学しました。高い学費を払って行かせてもらっていたのにこんなことを言うのもなんですが、僕はとことん授業というものが向いていないな、現場で学ぶのが合うな、と。専門学校に通っている間は、大阪ミナミのビストロでアルバイトをしつつ、系列店のオムレツ屋にもヘルプで入りました。一日100個くらいオムレツを作っていたんですが、ビストロよりこちらのほうが自分には向いていましたね。僕、卵料理にはうるさいですよ。卵ってすごいんです。料理だけでなくお菓子にも使える。卵について語り出したら止まらないのでこのへんでやめておきます(笑)。
専門学校の勧めもあり、卒業後はまずホテルレストランで働くことにした。神戸の大手ホテルへの入社が決まり、宴会料理の配属となったが、「そこにいた一年間、料理はほとんどできなかった。」という。それでも何か得るものが欲しく、早朝出勤をして先輩たちが来るまでにフォンドヴォーの仕込みをしたり、パンを焼いたり貪欲に努力を続けた。
フォンドヴォーの仕込みは、まるで土方仕事みたいに体力勝負で大変でしたが一年続けました。一日中、牡蠣を開けて終わったり、食器を集めたり、そんなことを一年したあとに同じホテル内の洋食レストランへと異動になり、そこで3年ほど。そのときにちょうど神戸の大震災が起こり、お客様200人ほどを抱え、電気もガスも水もない中、ガスボンベで炊き出しを作りました。冷蔵庫も止まっているので、食材が腐る前に全部調理して・・・、このホテルではそんな思い出もありますね。その後、お世話になった上司がフレンチレストランの料理長になるということでついて行くことにし、結局、フレンチをやらないままホテルを辞めることになりました。
そこでフランス料理の基礎を2年ほど学び、その後はいろんな店でシェフを務めたりもするが、自分の中で何かしっくりこなかったという滑浦シェフ。フランスへ行ってみたい、という気持ちが高まる中、知人の紹介で南仏ニームのレストラン「Le LISITA」での研修のチャンスを得る。一年の研鑽を経て、その後に日本へ戻ってフレンチに入社するものの、「やりたいフレンチはフランスのフレンチ」だと再渡仏、同じ店で再び働く。その後もいろんなところで経験を積み、フランスに残ってずっとやっていきたい気持ちはあったが、ビザの関係もあり、行ったり来たりの生活が続いていた。思うようにうまくはいかなかった。
年齢も30を超えてしばらくし、一旦この往復生活をやめよう、気持ちを切り替えよう、と決めました。神戸はブライダル産業が盛んですが、個人的に僕はその料理が好きではなく、食材やアイデアを駆使してそれを分かってもらえる場で自分の料理を、本当のフレンチを作りたかった。でもそういう場がなかなか見つからず、自分の中でこのままではいけないと葛藤がありました。それならばやるしかない。起業ブームに乗っかって、やろうと決めてからは早かったですね。運よく政府の金融公庫からの融資がおり、3ヶ月で神戸に自店の「MONTÉE」をオープンしました。2006年のことです。が、最初はお客さんが来ない(苦笑)!でもおかげさまで、徐々に地元のリピーターさんたちが増えてきて繁盛するようになってきました。

いつしか人気店としての地位を確立した「MONTÉE」。それなのになぜ、滑浦シェフはその店を閉めてパリへ移転しようと思ったのか。
自分の中でやりきった気がしたんです。日本の食材も使い果たしたし、知り尽くした・・・というとおこがましいかもしれませんが、何か新しい挑戦をしたくなったんです。そんな折にフランスでミシュランの星を獲った日本人たちの活躍する姿を見て刺激を受けて。かつて僕はフランスに残りたかった、でも当時はやむなくあきらめた。でもこのとき、「やってる人いるやん!僕にもやれるんちゃうか?」と。神戸は狭いです。リピーターはいてもなかなかそれ以上広がらない。自分が動かないと取り残される。もっと自分の料理を多くの人に知ってもらいたい。だったら、勝負するならパリだろう、と思ったんです。日本での経営の経験もあるしすぐに起業できると思っていたんですが、手続きに時間がかかりましたね。フランスの洗礼を受けた気がしました。でも途中で引き返すことはできない、やるしかなかったです。
何軒も物件を見てまわり、仮契約まで取り付けたものの融資がおりずに足止めをくらう。その間、奥様の純子さんと共に語学学校に通ったり、現地の日本人シェフたちとの交流を深め、仕入れのことや生産者のつながりも教えてもらった。結局、融資なしで自分たちの手持ち資金だけでやりくりすることにした。頼りになるのは自分たちの資本のみで、現地のパートナーの資本は入れていない。改装工事はしばらくお預け、以前のお店を居抜きで使って営業をスタートすることになった。
自分でペンキを塗って水道工事もして(笑)、2016年9月10日にオープンです。オープン当時は、以前の店のお客さんが知らずに入ってきて「お店が変わったんだね。」と話すだけ話して帰っていくことが多かったです。無名シェフが日本からやってきた、という感じだったので、集客が大変でした。それでもなんとか、少しずつ、です。
改装については、工事をお願いしたかったキュイジニスト(キッチン専門のデザイン施工業者)が頼もしく、「(工事資金の)融資がおりなかったなら、おりるように手はずを整えましょう。」と銀行に圧力をかけてくれたんです。おかげで融資がおりることになり、2017年春に2ヶ月弱かけて改装をしました。厨房には特に力を入れましたよ。丈夫だし、動線を考えてあるので使いやすいし、ガストロノミー料理を作る厨房に仕上げてあります。広い分、ひとりで掃除するのが大変ですが(笑)。
ピカピカに磨き上げられた厨房は印象的だ。前菜からデザートまで、すべてひとりで作る。もちろん仕込みもひとりなので、並大抵の仕事量ではない。いつかはあと2人ほど入れたいそうだが、今はまだ「コントロールしやすいからこれでいい。」という。サービスは奥様ひとり。まさに二人三脚!
モンテより写真提供

つらいことがあると、日本に残っていたほうが良かったかな?と思ったこともありますが、でも日本に帰ったらまたフランスに来たいと思うんでしょうね。未来は明るいです。希望もやりたいこともたくさん。そうですね・・・、ミシュランの星がすべてではないですけれど、努力して獲りたいとは思っています(注 : 取材は一つ星獲得の直前である1月)。今までやってこれたのは、自分のやっていることに自信があったからです。やらなかった後悔はダメ。後悔するなら、やって後悔するほうが納得できますよね。一度はダメでも、何度でもチャレンジできる、あきらめない。僕は、これからも信念を持って大好きな料理を作り続けていきたいです。
そして2018年2月5日、「MONTÉE」に新しい歴史が刻みこまれた。滑浦シェフと純子さん、二人で勝ち取った一つ星だ。神戸からパリにたった二人で飛びこみ、ここまで到達するまでには計り知れない努力と苦労があったに違いない。これからは新しいメンバーも迎え入れ、素晴らしいチームでさらに「MONTÉE」を盛り上げていってくれることだろう。正直で誠実なお人柄が現れた滑浦シェフの創り出すひと皿ひと皿から、今後もますます目が離せそうにない。
取材: 内田ちはる
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シェフの肖像 (vol.10)

MONTÉE(モンテ)
オーナーシェフ 滑浦高行 氏

「おもしろいことをする人がいるもんだな。」と興味を持ち、会ってみたくなった。日本で人気だった店を閉め、パリに移転オープンするというチャレンジをやってのけた滑浦高行氏(45歳)である。調理師学校を卒業後、日本でのホテルレストラン勤務、南仏ニームでのレストラン研修などを経て、2006年、34歳のときに地元の神戸にて自身の店をオープン。新たなスタートのために店を閉めたのが2014年の終わり、そして2ヶ月も経たないうちに移転先のパリへと飛び立った。準備期間を経て、2016年9月に神戸の店と同名の「MONTÉE」をオープン。2018年2月にはミシュラン一つ星を獲得という快挙を遂げた。
母が忙しい人だったので、小学校低学年のときから自分で料理を作って食べることがありました。と言っても、オムライス、オムレツ、パスタなどシンプルなものです。2つ上の兄が料理上手でね・・・、真似てみるんだけれども、どうも僕はうまくできない。スクランブルエッグひとつをとっても、全然違うんです。どうすれば兄みたいに作れるんだろう、といつも考えていました。「どうしたらおいしくなるか。」と探求する気持ちはあのころも今も変わっていないですね。僕の料理に対する原点はここにあるのかもしれません。
小中高と「ごくふつうの学生だった。」という滑浦シェフ。高校時代は、当時流行っていたデザイナーズブランドを買うために、(本当は高校では禁止されていたが)アルバイトに精を出した。小さな喫茶店で、もともとはウエイターとして入ったが、途中から調理も教えてもらえたという。
素直に言われたこと、決められたことを真面目にしていました。時給は安かったのですが、お金をもらって仕事をしているんだから、純粋に奉仕したいと思って。もちろん掃除も欠かさず、時間がある限りは全てきちんとやりたいとがんばりました。ある日、もともと料理人だった人がいなくなり、同時にウエイターとして入った友人が厨房に入ることになりました。そのとき、オーナーに「僕も(料理を)やりたいです!」と自ら志願したんです。自発的に自分の意思を他人に伝えたのは初めてだったんじゃないでしょうか。新鮮でしたね。心から出た言葉でした。それで、オムライス、たらこスパゲティ、ハンバーグなど、いわゆる喫茶店メニューの調理を教えてもらうことができて・・・とてもうれしかったし楽しかったです。そして卒業後の進路の話し合いが学校で行われたとき、親と先生の前で「料理学校に行きたい。」と言ったんです。親に自分のやりたいことをはっきりと伝えたのも、このときが生まれて初めてだったかな。ああ、僕は本当に料理がやりたいんだなぁ、と実感しましたね。

それで、大阪の辻調理師専門学校へ入学しました。高い学費を払って行かせてもらっていたのにこんなことを言うのもなんですが、僕はとことん授業というものが向いていないな、現場で学ぶのが合うな、と。専門学校に通っている間は、大阪ミナミのビストロでアルバイトをしつつ、系列店のオムレツ屋にもヘルプで入りました。一日100個くらいオムレツを作っていたんですが、ビストロよりこちらのほうが自分には向いていましたね。僕、卵料理にはうるさいですよ。卵ってすごいんです。料理だけでなくお菓子にも使える。卵について語り出したら止まらないのでこのへんでやめておきます(笑)。
専門学校の勧めもあり、卒業後はまずホテルレストランで働くことにした。神戸の大手ホテルへの入社が決まり、宴会料理の配属となったが、「そこにいた一年間、料理はほとんどできなかった。」という。それでも何か得るものが欲しく、早朝出勤をして先輩たちが来るまでにフォンドヴォーの仕込みをしたり、パンを焼いたり貪欲に努力を続けた。
フォンドヴォーの仕込みは、まるで土方仕事みたいに体力勝負で大変でしたが一年続けました。一日中、牡蠣を開けて終わったり、食器を集めたり、そんなことを一年したあとに同じホテル内の洋食レストランへと異動になり、そこで3年ほど。そのときにちょうど神戸の大震災が起こり、お客様200人ほどを抱え、電気もガスも水もない中、ガスボンベで炊き出しを作りました。冷蔵庫も止まっているので、食材が腐る前に全部調理して・・・、このホテルではそんな思い出もありますね。その後、お世話になった上司がフレンチレストランの料理長になるということでついて行くことにし、結局、フレンチをやらないままホテルを辞めることになりました。
そこでフランス料理の基礎を2年ほど学び、その後はいろんな店でシェフを務めたりもするが、自分の中で何かしっくりこなかったという滑浦シェフ。フランスへ行ってみたい、という気持ちが高まる中、知人の紹介で南仏ニームのレストラン「Le LISITA」での研修のチャンスを得る。一年の研鑽を経て、その後に日本へ戻ってフレンチに入社するものの、「やりたいフレンチはフランスのフレンチ」だと再渡仏、同じ店で再び働く。その後もいろんなところで経験を積み、フランスに残ってずっとやっていきたい気持ちはあったが、ビザの関係もあり、行ったり来たりの生活が続いていた。思うようにうまくはいかなかった。
年齢も30を超えてしばらくし、一旦この往復生活をやめよう、気持ちを切り替えよう、と決めました。神戸はブライダル産業が盛んですが、個人的に僕はその料理が好きではなく、食材やアイデアを駆使してそれを分かってもらえる場で自分の料理を、本当のフレンチを作りたかった。でもそういう場がなかなか見つからず、自分の中でこのままではいけないと葛藤がありました。それならばやるしかない。起業ブームに乗っかって、やろうと決めてからは早かったですね。運よく政府の金融公庫からの融資がおり、3ヶ月で神戸に自店の「MONTÉE」をオープンしました。2006年のことです。が、最初はお客さんが来ない(苦笑)!でもおかげさまで、徐々に地元のリピーターさんたちが増えてきて繁盛するようになってきました。

いつしか人気店としての地位を確立した「MONTÉE」。それなのになぜ、滑浦シェフはその店を閉めてパリへ移転しようと思ったのか。
自分の中でやりきった気がしたんです。日本の食材も使い果たしたし、知り尽くした・・・というとおこがましいかもしれませんが、何か新しい挑戦をしたくなったんです。そんな折にフランスでミシュランの星を獲った日本人たちの活躍する姿を見て刺激を受けて。かつて僕はフランスに残りたかった、でも当時はやむなくあきらめた。でもこのとき、「やってる人いるやん!僕にもやれるんちゃうか?」と。神戸は狭いです。リピーターはいてもなかなかそれ以上広がらない。自分が動かないと取り残される。もっと自分の料理を多くの人に知ってもらいたい。だったら、勝負するならパリだろう、と思ったんです。日本での経営の経験もあるしすぐに起業できると思っていたんですが、手続きに時間がかかりましたね。フランスの洗礼を受けた気がしました。でも途中で引き返すことはできない、やるしかなかったです。
何軒も物件を見てまわり、仮契約まで取り付けたものの融資がおりずに足止めをくらう。その間、奥様の純子さんと共に語学学校に通ったり、現地の日本人シェフたちとの交流を深め、仕入れのことや生産者のつながりも教えてもらった。結局、融資なしで自分たちの手持ち資金だけでやりくりすることにした。頼りになるのは自分たちの資本のみで、現地のパートナーの資本は入れていない。改装工事はしばらくお預け、以前のお店を居抜きで使って営業をスタートすることになった。
自分でペンキを塗って水道工事もして(笑)、2016年9月10日にオープンです。オープン当時は、以前の店のお客さんが知らずに入ってきて「お店が変わったんだね。」と話すだけ話して帰っていくことが多かったです。無名シェフが日本からやってきた、という感じだったので、集客が大変でした。それでもなんとか、少しずつ、です。
改装については、工事をお願いしたかったキュイジニスト(キッチン専門のデザイン施工業者)が頼もしく、「(工事資金の)融資がおりなかったなら、おりるように手はずを整えましょう。」と銀行に圧力をかけてくれたんです。おかげで融資がおりることになり、2017年春に2ヶ月弱かけて改装をしました。厨房には特に力を入れましたよ。丈夫だし、動線を考えてあるので使いやすいし、ガストロノミー料理を作る厨房に仕上げてあります。広い分、ひとりで掃除するのが大変ですが(笑)。
ピカピカに磨き上げられた厨房は印象的だ。前菜からデザートまで、すべてひとりで作る。もちろん仕込みもひとりなので、並大抵の仕事量ではない。いつかはあと2人ほど入れたいそうだが、今はまだ「コントロールしやすいからこれでいい。」という。サービスは奥様ひとり。まさに二人三脚!
モンテより写真提供

つらいことがあると、日本に残っていたほうが良かったかな?と思ったこともありますが、でも日本に帰ったらまたフランスに来たいと思うんでしょうね。未来は明るいです。希望もやりたいこともたくさん。そうですね・・・、ミシュランの星がすべてではないですけれど、努力して獲りたいとは思っています(注 : 取材は一つ星獲得の直前である1月)。今までやってこれたのは、自分のやっていることに自信があったからです。やらなかった後悔はダメ。後悔するなら、やって後悔するほうが納得できますよね。一度はダメでも、何度でもチャレンジできる、あきらめない。僕は、これからも信念を持って大好きな料理を作り続けていきたいです。
そして2018年2月5日、「MONTÉE」に新しい歴史が刻みこまれた。滑浦シェフと純子さん、二人で勝ち取った一つ星だ。神戸からパリにたった二人で飛びこみ、ここまで到達するまでには計り知れない努力と苦労があったに違いない。これからは新しいメンバーも迎え入れ、素晴らしいチームでさらに「MONTÉE」を盛り上げていってくれることだろう。正直で誠実なお人柄が現れた滑浦シェフの創り出すひと皿ひと皿から、今後もますます目が離せそうにない。
取材: 内田ちはる