Magazine

シェフの肖像 (vol.11)

Alliance (アリアンス)
オーナーシェフ 大宮敏孝 氏

大阪の調理師学校卒業後、2001年に22歳で渡仏 。「アルページュ」「ジョルジュ・サンク」「アガペ」などの数々の有名店で修行を積み、満を持して2015年に自身の店「Alliance(アリアンス)」をオープンした大宮敏孝(39歳)。フランス人の料理人たちとも親交が深く、その実力を知る料理界から、自店のオープンを今か今かと心待ちにされていた存在だ。食材に向き合う真剣で鋭い眼差しと、笑ったときの人懐こい表情のギャップが印象的なシェフである。
僕が子どものころ、うちは母も祖母も家にいたので、帰宅するとごはんの支度をしているいい匂いが漂う家庭でした。いつもお腹が空いていて食いしん坊だった僕は、手伝えば味見をできるという理由で、踏み台を持ってきて台所の母や祖母の横にくっついていて(笑)。それが料理を好きになるきっかけでした。
一時は大学進学も考えたが、好きだった料理の道に入ることを決意。高校卒業後は大阪の辻調理師専門学校で学び、その後は3年間、イタリアンレストランで働く。そのままイタリアンを続けていくつもりだったが、その前に少しフレンチの世界を覗いてみたくなった。そして2001年、22歳でフランスへと渡る。
フランス料理の経験はなかったんですが、日本で今さらフレンチの世界に入ったら、年下の先輩ができるのがイヤだな、と。若かったのでそんな考えしかなくて(笑)。それでフランスへ行きました。仕事をするにはまず言葉の習得が必要だと思い、最初の3ヶ月は語学学校に通ってフランス語を学びました。9時から18時までみっちりです。先生が何を言っているのかさっぱり分からず、初めのころはしょっちゅうみんなと違うページを開いていたりして、散々でしたね。僕、負けず嫌いなんです。それで、授業を録音して、自宅に帰ってからは必死に復習する毎日でした。
「授業を録音して復習」、その努力には頭が下がる。その甲斐あり、3ケ月ほど経てば簡単なコミュニケーションは問題なく取れるようになってきたという。そこでミシュランガイドブックを購入し、当時住んでいた郊外から乗り換えなしで通勤できる範囲の星付きレストラン20軒ほどに履歴書を送った。最初の勤め先は、8区の「L’Astor」(当時2つ星)。そこからは、常に声がかかりトントン拍子で次々と修行先が決まってラッキーだったと大宮シェフ。そのころには、イタリアンではなくフレンチでやっていきたいという気持ちになっていた。そして、学生ビザ、ワーキングホリデービザのあとの2005年には、「アルページュ」で労働許可証を取得。続いて「ジョルジュサンク」、その後の「インターコンチネンタル(アヴニューマルソー)」ではスーシェフを務めることになる。
ある日、アルページュでの同僚だったダヴィッド(David Toutain氏)から、「アガペ・シュブスタンス」の立ち上げに参画してほしいと声がかかりました。でもちょうど第一子の出産と重なりそうだったので、事情を正直に話してオープン後から手伝いたいとお願いしました。ダヴィッドは天才です。料理に対する情熱も人並みではなく努力もすごい。仕事の鬼タイプなので、彼と一緒だと家族との時間が取れないんです。大切な第一子が生まれるのだから、それは避けたくて。それで、娘が生まれてしばらくしてからダヴィッドが辞めるまでの半年間、彼と一緒に働きました。僕の労働許可証取得をアルページュのパッサール氏にプッシュしてくれたのはダヴィッドだったので、相当ハードでしたが恩返しのような気持ちでがんばりました。
2012年には、17区の「アガペ」のシェフが辞めることになり、シェフとして引き抜かれた。ただ、ここでは複雑な思いを抱きながら毎日を過ごすことになるのである。
まだ自分の料理がよく分かっていないのにシェフになってしまったのが悪かった。それで、僕の日々の目的が「もともとあった星を守ること」になってしまったんです。好きだったはずの料理が楽しくなくなり、しんどいだけでストレス。そして、(ミシュランガイドの発表が終わる)2月になると、「あぁ、星を守れた。」とほっとする。そんなことをしていて2年が過ぎたとき、お腹がいっぱいになってしまって、もういいかな、と。どうにもこうにも息が詰まって、そのままだとガストロノミーが嫌いになってしまいそうだったので、その前に環境を変えないと、と思いました。2014年10月、ちょうど第二子の誕生も決まったのでそのタイミングに合わせて辞めました。

さまざまな修行先での人間関係やオーナーを間近で見る中、「オーナーとしてあるべき姿」についても深く考えさせられたという大宮シェフ。ちょうど独立も本格的に意識し始めていたころだった。それから数ヶ月は、パリの日本人シェフのレストランを中心に手伝いに回った。
2015年3月、アガペでディレクターをしていたショーン(現在の共同経営者)から連絡が入り、一緒に店をやらないかと言われました。けれどもそのときの彼は、ガストロノミーを離れてもっと肩の力を抜いたカジュアルなものをやりたがっていたんです。話し合いましたが、どうしても方向性が合わずに断りました。ところがその後、彼はやはりガストロノミーが好きだということに気づき、再び僕に声をかけてくれたのです。彼のことは信頼していたし、やりたいことが一致したなら問題はありません。僕たちはすぐに動き出しました。
2015年11月には「Alliance」をオープン。アガペでシェフをしていた時代についた顧客たちが、探し当ててやってきてくれることも少なくない。ちょうど取材日に来ていた顧客は、年に2回オーストラリアからやってくるご夫妻。アガペで大宮シェフの料理に魅了された彼らは、約2週間の滞在中にだいたい5回ほど食事に来るのだという。
店が変わっても、こうやってついて来て下さる方がいるというのは幸せなことです。自分のやりたいことで喜んでくれているのが分かり、お客様が自分に寄せる信頼を感じ、いい意味で「これでいい。」と思えました。以前の僕は、まだ自分に自信を持ちきれない部分があったのか、自分の中で『これにはこれ』という方式ができあがっていて、「これは嫌い。」と言われると「これにはこれなんだ。そうでないと完成しないんだ。」という気持ちが多少なりともありました。ガチガチに堅かった。でも、信頼してくれるお客様がいる、じゃあもっと(お客様に)寄り添っていいんじゃないか、と思えるようになったんです。今は、にんじんが嫌いな人にはにんじんは勧めない。お客様の顔が見えるキッチンで、お客様の顔を見ながら、心からおいしいと思ってもらえるように料理を完成させています。
3年目に入り、ちょうどいいペースで仕事ができていると感じる、と大宮シェフ。2015年のテロ直後がオープンだった影響もあってか初めの半年間は厳しかったが、徐々に満席の日も増えてきた。2年目に入ってミシュランでひとつ星を獲得、知名度が上がると同時に多忙を極めた。今はようやく波も落ち着き、安定してきたのだそう。
今でも仕込みのときはとても忙しいのですが、きっちり仕込みをしておけば営業中にふと手の空いた時間ができることがあって、そんなときには食材を食べて新しいアイデアを出し合ったりしています。このゆとりが僕にとっては貴重です。ガラス張りのキッチンなので、フロアからもつまんでいるのが見えていると思うんですが(笑)。
話を伺っていても、シェフ本人から、ゆったりと構える「余裕」を感じることができる。その姿は見ていて頼もしい。今に至るまで、縁があってすべてうまくやってくることができたという大宮シェフだが、今後のことはどのように考えているのだろうか。
「アルページュ」は僕の考え方を作ってくれ、「ジョルジュ・サンク」は表現のテクニックを教えてくれた。「アガペ」ではシェフとして料理を作らせてもらえた。そして今、自分の店「アリアンス」は、本当に居心地がいい。ここで料理ができて幸せです。自分の店を持つとなったとき、プロとして僕が一番知っているのがパリの街で、ここでやっていくのが一番スムーズだと考えました。今後も縁があるうちはフランスでやっていこうと思っています。無理をするとどうしてもひずみが出てくるので、無理せずに、ただ毎日やるべきことを丁寧に。自分のキャリアが終わるころ、「無理せずに済んだな。」と思えたら最高です。僕は本当に幸せ者で、常に周りによくしてもらって、常に周りに生かせてもらっている。家族、両親、共同経営者のショーン、チームのみんな、業者、そしてお客様。心から感謝しています。これからもお客様の「また来るよ。」の言葉を聞けるように、日々精進していきたいですね。
取材: 内田ちはる

シェフの肖像 (vol.11)

Alliance (アリアンス)
オーナーシェフ 大宮敏孝 氏

大阪の調理師学校卒業後、2001年に22歳で渡仏 。「アルページュ」「ジョルジュ・サンク」「アガペ」などの数々の有名店で修行を積み、満を持して2015年に自身の店「Alliance(アリアンス)」をオープンした大宮敏孝(39歳)。フランス人の料理人たちとも親交が深く、その実力を知る料理界から、自店のオープンを今か今かと心待ちにされていた存在だ。食材に向き合う真剣で鋭い眼差しと、笑ったときの人懐こい表情のギャップが印象的なシェフである。
僕が子どものころ、うちは母も祖母も家にいたので、帰宅するとごはんの支度をしているいい匂いが漂う家庭でした。いつもお腹が空いていて食いしん坊だった僕は、手伝えば味見をできるという理由で、踏み台を持ってきて台所の母や祖母の横にくっついていて(笑)。それが料理を好きになるきっかけでした。
一時は大学進学も考えたが、好きだった料理の道に入ることを決意。高校卒業後は大阪の辻調理師専門学校で学び、その後は3年間、イタリアンレストランで働く。そのままイタリアンを続けていくつもりだったが、その前に少しフレンチの世界を覗いてみたくなった。そして2001年、22歳でフランスへと渡る。
フランス料理の経験はなかったんですが、日本で今さらフレンチの世界に入ったら、年下の先輩ができるのがイヤだな、と。若かったのでそんな考えしかなくて(笑)。それでフランスへ行きました。仕事をするにはまず言葉の習得が必要だと思い、最初の3ヶ月は語学学校に通ってフランス語を学びました。9時から18時までみっちりです。先生が何を言っているのかさっぱり分からず、初めのころはしょっちゅうみんなと違うページを開いていたりして、散々でしたね。僕、負けず嫌いなんです。それで、授業を録音して、自宅に帰ってからは必死に復習する毎日でした。
「授業を録音して復習」、その努力には頭が下がる。その甲斐あり、3ケ月ほど経てば簡単なコミュニケーションは問題なく取れるようになってきたという。そこでミシュランガイドブックを購入し、当時住んでいた郊外から乗り換えなしで通勤できる範囲の星付きレストラン20軒ほどに履歴書を送った。最初の勤め先は、8区の「L’Astor」(当時2つ星)。そこからは、常に声がかかりトントン拍子で次々と修行先が決まってラッキーだったと大宮シェフ。そのころには、イタリアンではなくフレンチでやっていきたいという気持ちになっていた。そして、学生ビザ、ワーキングホリデービザのあとの2005年には、「アルページュ」で労働許可証を取得。続いて「ジョルジュサンク」、その後の「インターコンチネンタル(アヴニューマルソー)」ではスーシェフを務めることになる。
ある日、アルページュでの同僚だったダヴィッド(David Toutain氏)から、「アガペ・シュブスタンス」の立ち上げに参画してほしいと声がかかりました。でもちょうど第一子の出産と重なりそうだったので、事情を正直に話してオープン後から手伝いたいとお願いしました。ダヴィッドは天才です。料理に対する情熱も人並みではなく努力もすごい。仕事の鬼タイプなので、彼と一緒だと家族との時間が取れないんです。大切な第一子が生まれるのだから、それは避けたくて。それで、娘が生まれてしばらくしてからダヴィッドが辞めるまでの半年間、彼と一緒に働きました。僕の労働許可証取得をアルページュのパッサール氏にプッシュしてくれたのはダヴィッドだったので、相当ハードでしたが恩返しのような気持ちでがんばりました。
2012年には、17区の「アガペ」のシェフが辞めることになり、シェフとして引き抜かれた。ただ、ここでは複雑な思いを抱きながら毎日を過ごすことになるのである。
まだ自分の料理がよく分かっていないのにシェフになってしまったのが悪かった。それで、僕の日々の目的が「もともとあった星を守ること」になってしまったんです。好きだったはずの料理が楽しくなくなり、しんどいだけでストレス。そして、(ミシュランガイドの発表が終わる)2月になると、「あぁ、星を守れた。」とほっとする。そんなことをしていて2年が過ぎたとき、お腹がいっぱいになってしまって、もういいかな、と。どうにもこうにも息が詰まって、そのままだとガストロノミーが嫌いになってしまいそうだったので、その前に環境を変えないと、と思いました。2014年10月、ちょうど第二子の誕生も決まったのでそのタイミングに合わせて辞めました。

さまざまな修行先での人間関係やオーナーを間近で見る中、「オーナーとしてあるべき姿」についても深く考えさせられたという大宮シェフ。ちょうど独立も本格的に意識し始めていたころだった。それから数ヶ月は、パリの日本人シェフのレストランを中心に手伝いに回った。
2015年3月、アガペでディレクターをしていたショーン(現在の共同経営者)から連絡が入り、一緒に店をやらないかと言われました。けれどもそのときの彼は、ガストロノミーを離れてもっと肩の力を抜いたカジュアルなものをやりたがっていたんです。話し合いましたが、どうしても方向性が合わずに断りました。ところがその後、彼はやはりガストロノミーが好きだということに気づき、再び僕に声をかけてくれたのです。彼のことは信頼していたし、やりたいことが一致したなら問題はありません。僕たちはすぐに動き出しました。
2015年11月には「Alliance」をオープン。アガペでシェフをしていた時代についた顧客たちが、探し当ててやってきてくれることも少なくない。ちょうど取材日に来ていた顧客は、年に2回オーストラリアからやってくるご夫妻。アガペで大宮シェフの料理に魅了された彼らは、約2週間の滞在中にだいたい5回ほど食事に来るのだという。
店が変わっても、こうやってついて来て下さる方がいるというのは幸せなことです。自分のやりたいことで喜んでくれているのが分かり、お客様が自分に寄せる信頼を感じ、いい意味で「これでいい。」と思えました。以前の僕は、まだ自分に自信を持ちきれない部分があったのか、自分の中で『これにはこれ』という方式ができあがっていて、「これは嫌い。」と言われると「これにはこれなんだ。そうでないと完成しないんだ。」という気持ちが多少なりともありました。ガチガチに堅かった。でも、信頼してくれるお客様がいる、じゃあもっと(お客様に)寄り添っていいんじゃないか、と思えるようになったんです。今は、にんじんが嫌いな人にはにんじんは勧めない。お客様の顔が見えるキッチンで、お客様の顔を見ながら、心からおいしいと思ってもらえるように料理を完成させています。
3年目に入り、ちょうどいいペースで仕事ができていると感じる、と大宮シェフ。2015年のテロ直後がオープンだった影響もあってか初めの半年間は厳しかったが、徐々に満席の日も増えてきた。2年目に入ってミシュランでひとつ星を獲得、知名度が上がると同時に多忙を極めた。今はようやく波も落ち着き、安定してきたのだそう。
今でも仕込みのときはとても忙しいのですが、きっちり仕込みをしておけば営業中にふと手の空いた時間ができることがあって、そんなときには食材を食べて新しいアイデアを出し合ったりしています。このゆとりが僕にとっては貴重です。ガラス張りのキッチンなので、フロアからもつまんでいるのが見えていると思うんですが(笑)。
話を伺っていても、シェフ本人から、ゆったりと構える「余裕」を感じることができる。その姿は見ていて頼もしい。今に至るまで、縁があってすべてうまくやってくることができたという大宮シェフだが、今後のことはどのように考えているのだろうか。
「アルページュ」は僕の考え方を作ってくれ、「ジョルジュ・サンク」は表現のテクニックを教えてくれた。「アガペ」ではシェフとして料理を作らせてもらえた。そして今、自分の店「アリアンス」は、本当に居心地がいい。ここで料理ができて幸せです。自分の店を持つとなったとき、プロとして僕が一番知っているのがパリの街で、ここでやっていくのが一番スムーズだと考えました。今後も縁があるうちはフランスでやっていこうと思っています。無理をするとどうしてもひずみが出てくるので、無理せずに、ただ毎日やるべきことを丁寧に。自分のキャリアが終わるころ、「無理せずに済んだな。」と思えたら最高です。僕は本当に幸せ者で、常に周りによくしてもらって、常に周りに生かせてもらっている。家族、両親、共同経営者のショーン、チームのみんな、業者、そしてお客様。心から感謝しています。これからもお客様の「また来るよ。」の言葉を聞けるように、日々精進していきたいですね。
取材: 内田ちはる